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<イメージガレージ> 豆知識的なことを書いたり撮影場所の紹介をしているブログです 

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2023年4月28日 リニューアル作業を開始しました。更新頻度が落ちると思いますがよろしくお願いします。
PHOTO

YS-11(東亜国内航空・ひだか)のフリー素材写真(無料)

【無料写真素材】YS-11(東亜国内航空・ひだか)

場所   : 東京都 羽田空港

撮影年度 : 不明

サイズ  : 2400 x 1597 ピクセル

カメラ  : Nikon FE または FA(ネガフィルム)

レンズ  : -

モデルリリース:- プロパティーリリース:-

こちらの写真は、規約を守った上で、無料で使うことが出来ます。
フリー写真素材の利用規約 〜画像をダウンロードしたことで規約に同意したものとみなします。
※ダウンロードボタンからダウンロードした画像には、ウォーターマークは入っていません
カテゴリー→ 東京 , ブログ , フォト , 乗り物

 

「YS-11(東亜国内航空・ひだか)」の写真は、無料使えるフリー写真素材です

「YS-11(東亜国内航空・ひだか)」の写真は、規約の範囲内で、広告・ブログ・壁紙などに使うことが出来るロイヤリティフリーの画像です。利用規約

はじめに

日本航空機製造という日本のメーカーが開発した航空機「YS-11」の写真です。TDA・東亜国内航空という機体カラーも懐かしくて泣けますね!古いネガを漁っていて久しぶりに見たYS-11という機体について、少し説明したいと思います!

また、こちらの「YS-11(東亜国内航空・ひだか)」の写真は無料で使えるフリー写真素材です。気に入りましたら是非お役立て下さい。

 

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航空マニアには名機と呼ばれるYS-11という国産飛行機

YS-11は、日本の航空製造技術を結集して完成させた戦後初の純国産旅客機です。試作2機を含む182機が製造さました。航空マニアや航空雑誌では名機と呼ばれている機体で、世界中の空を飛び回った機体です。

このYS-11は、1964年に型式認定を受け、1965年に量産1号機を納入開始しています。最初の納入先は東亜航空で、定期航路に国内で最初に就航させたのは日本国内航空でした。(1971年に東亜航空と日本国内航空は合併して東亜国内航空になっています。)

その後、世界各地で運航されたYS-11ですが、2006年に日本の旅客用途での運航は終了し、海上保安庁でも2011年に退役。東南アジアなどへ売却された機体も多くが運航終了になっています。

 

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堀越二郎も開発に関わったYS-11の歴史

YS-11は双発ターボプロップエンジンを搭載したプロペラ機です。設計者たちは戦前にゼロ戦などの軍用機を設計していた人達です。ジブリの映画「風立ちぬ」の堀越二郎も開発に携わりました。

そんな人達が設計に関わっているYS-11は、信頼性や耐久性がとても優れた飛行機になりましたが、欠点も多くありました。

軍用機には詳しかった設計陣でしたが、旅客機のことは全くの素人だったため、騒音・振動・居住性が劣っていました。国内からも海外からも非常に扱いにくいと厳しい評価がされてしまいます。

しかし、改修を重ねた結果、いろいろなトラブルや劣っていた部分を解消し、1機あたりの飛行時間は月300時間以上、定時出発率99%を誇るようになりました。実用には問題のない飛行機になっていき、国内では信頼の高い飛行機に育っていきました。

 

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海外でのYS-11

戦後初の国産航空機のYS-11は、世界の航空会社にも輸出されました。営業のノウハウや販売網がなかったため、実機を飛ばしてアピールしながら積極的に海外へ飛行させました。

その結果、アメリカのピードモント航空などの近距離航空会社からまとまった受注を受けることが出来ました。しかし、初期の機体は外国人には搭乗口が低すぎたり、騒音や振動が大きく、たくさんの改善要求を受けることになります。

デモフライトや知名度のあるアメリカ航空会社での採用もあり、計画を上回る受注をしましたが、販売網やサポートが十分ではなく、安定した部品供給が行われませんでした。納入の遅れなどもあり、だんだんと信用を失墜していくことになります。

 

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パイロットから見たYS-11

軍用機の性格を強く持つため、機体はとても頑丈でしたが、その分重量が重くパワー不足を感じたパイロットが多かったようです。コクピットは暑かったり寒かったりと空調が安定せず、居住性もあまりよくありませんでした。

そのため「クラウンに軽自動車のエンジンを載せたような飛行機」とも言われ、パイロットでは愛着を持っている人は少ないようです。

操縦系統も戦後主流だった油圧を使わず、ケーブルによってつながれていましたため、不満を持つパイロットも多かったようです。改良型以前はオートパイロットすら装備されておらず、気流が乱れると腕がパンパンになると評されるほどで「世界最大の人力飛行機」とも言われていました。

 

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一般の人から見たYS-11

航空機マニアや航空専門誌からは希代の名機とも呼ばれているのがYS-11です。また日本の高度成長を象徴する存在であることや、無骨な構造や独特のエンジン音などから、この飛行機に魅了されたたくさんのファンがいます。

しかし一般的にはジェット機が一般的になっていた時期で、YS-11に乗った人は「プロペラだったよ。揺れて怖かったよ。」とか「座席が狭くて」とか、私はそんな声しか聞いたことがありません。実機を見て本当に大丈夫?と思う人が多かったのです。

 

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YS-11 ひだか

写真のYS-11のコックピット左下に「ひだか」と文字が入っています。東亜国内航空などいくつかのメーカーでは登録機に相性を付けて運用していました。

「ひだか」は登録記号JA8643で、1965年に登録され1989年12月に抹消。この機体のその後を調べてみると、日本エアシステム(東亜国内航空が改称)から海外へ売却され、解体されたようです。

 

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YS-11は名機だった?

パイロットやお客様にとっては、古くさくて居住性の低かった飛行機でした。しかし、丈夫で信頼性のあった戦後初の旅客機というだけでも、やはり名機だと思います。プロペラ機というところがマニア心もくすぐりますね。

 

 

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写真は羽田空港で撮りました

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