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小栗上野介(忠順)のフリー写真素材(無料画像)

【無料写真素材】小栗上野介(忠順)の銅像

場所   : 神奈川県 横須賀市

撮影年度 : 2021

サイズ  : 2400 x 1600 ピクセル

カメラ  : Fuji X-S10

レンズ  : Fuji XF16-55mmF2.8 R LM WR

モデルリリース:- プロパティーリリース:-

こちらの写真は、規約を守った上で、無料で使うことが出来ます。
フリー写真素材の利用規約 〜画像をダウンロードしたことで規約に同意したものとみなします。
※ダウンロードボタンからダウンロードした画像には、ウォーターマークは入っていません

 

「小栗上野介(忠順)の銅像」の写真は、無料使えるフリー写真素材です

「小栗上野介(忠順)の銅像」の写真は、規約の範囲内で、広告・ブログ・壁紙などに使うことが出来るロイヤリティフリーの画像です。利用規約

はじめに

横須賀のヴェルニー公園にある小栗上野介(忠順)の銅像の写真です。江戸幕府に造船所の必要性を説いて横須賀製鉄所の設立に寄与した人物です。

こちらの「小栗上野介(忠順)の銅像」の写真は無料で使えるフリー写真素材です。何かの際に是非お役立て下さい。

 

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日本近代化を推し進めた小栗上野介(忠順)

NHK大河ドラマで「青天を衝け」でドラマ化され広く知られる人物となりましたが、歴史上での影は薄く存在感かなと思います。

江戸末期から明治時代にかけて、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉は教科書にも出てきて誰もが知っていますよね?

しかし日本の近代化において、歴史上良く知られる人物と同等の事を成し遂げたにも関わらず小栗上野介(忠順)はあまり聞いたことがないかなと思います。

これは逆賊として無実ながら処刑されてしまった歴史もあり、明治政府が有能だった者として表舞台に出したくなかった人物だったからとも言われています。

横須賀では銅像もたつほどの小栗上野介(忠順)が何をしたのか簡単にご紹介しますね。

 

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旗本の子として生まれる

小栗上野介(忠順)は1827年に旗本・小栗忠高の子として生まれ、1843年の17歳の時に江戸城に初登城し江戸幕府内でで仕事をはじめます。

有力な旗本に生まれ、文武の才にも恵まれていたため、若くして重要な役職である両御番となりました。後には目付、勘定奉行など素晴らしい役職につく実力者でした。

 

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転機となったアメリカへの渡航

さて話を戻して1860年、日米修好通商条約批准交換の使節に任命され、アメリカの軍艦「ポータハン号」でアメリカへと渡りました。

主要人物の3人のうちの一人でしたが、アメリカに渡り新しい技術を見たことが小栗上野介(忠順)の転機となりました。

小栗上野介(忠順)にアメリカで大きく影響を与えたのは海軍の造船所でした。

当時の軍艦や武器製造に必要な鉄、木、布などが加工できる工場が一つに集約されていたのです。

また蒸気機関を使って効率的に稼働する工場の姿にも大きな影響を受けたとされています。

小栗上野介(忠順)は様々な技術の必要性を痛感しながら、アメリカで見たネジやバネなどを日本へと持ち帰ったのでした。

 

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造船所を日本に作る構想を推し進める

日本には外国から贈られた洋式艦船はありましたが、それを建造する造船技術や修理技術が日本にはありませんでした。

海外から艦船を買い、修理の時も海外のドックへと運び修理が必要だったのです。

これからの日本の海上防衛には軍艦が必要なため、その軍艦をどう調達するかの議論になりました。

外国から船を購入で良いではないかという意見が主流派を占めていましたが、アメリカの技術を実際に見てきた小栗上野介(忠順)の意見は違いました。

造船所を作り造船や修理を自国で出来るようにならないと、日本の発展はないと考えたのです。

まずは修理所だけ作れば位良いではないかという意見もあったようですが、反対を押し切って自国の造船所をつくることを推し進めたのが小栗上野介(忠順)だったのです。

 

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造船所の建設のパートナーはフランス

アメリカの技術を見てきた小栗上野介(忠順)はおそらくアメリカの支援も考えたと思います。しかしアメリカでは南北戦争が起こっており、アメリカの支援は断念。

友好国であったオランダは技術的に劣ったため、選択肢はイギリスかフランスでした。最終的にはどちらが日本にとって有益かを考え、フランスと手を組むことにしたのです。

そして造船所を作るために責任者として送られてきたのが、ヴェルニー公園で小栗上野介(忠順)と並んで銅像となっているフランソワ・レオンス・ヴェルニーという技術者です。

そして小栗上野介(忠順)の構想した造船所は、ヴェルニーの監督の下、横須賀製鉄所として完成しました。

 

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罪がないままに最後をとげた

その他にも様々な日本近代化の構想を持っていた小栗上野介(忠順)でしたが、徳川慶喜に薩長と徹底的に戦うことを進言して罷免になってしまいます。

彰義隊や会津藩への誘いなどありましたが、静かに暮らすことを選択して上州権田村へと帰ることにしました。

しかしその2カ月、官軍に出頭を命じられ捕縛。取り調べもないままに1868年に斬首となりました。

近代化の必要性を知る江戸幕府の頭脳は、新政府にとって危険人物とされていたのでしょうね。

 

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ヴェルニー公園のフリー写真素材一覧

こちらで小栗上野介(忠順)の銅像が設置されているヴェルニー公園のフリー写真素材を見る事が出来ます。

 

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小栗上野介(忠順)の銅像はこちらで見れます

横須賀の軍港に面したヴェルニー公園に小栗上野介(忠順)の銅像が設置されています。

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